スピリチュアルという言葉はまあ形容詞なんでしょうが、日本語にすると霊的なんて言葉になってなんか余計なイメージが紛れ込んでしまいますのでスピリチュアルという言葉のまま使われることが多いです。

最近はそうでもなくなってきましたけど、スピリチュアルなんていう形而上的な話は単なる妄想で馬鹿げたことだと、日本では毛嫌いする人が多かったようです。宗教アレルギーなんて言葉もありました。

しかし数十年の経験の結果、日本人はやっと気づいてきたのではないでしょうか。つまり、物質だけで人生や世界のすべてを説明することはできないし増してや生きがいなんて見つけることができないということを。

いや、精神とか心なんてものも扱ってきたではないかという声もありますが、所詮精神も心も脳という物質の働きに過ぎないと解釈してきたんです。

人生の意味のすべてを自分から破壊してきたといえるでしょう。

なぜならそこには最終的には死という虚無しか待っていないからです。どんなに一生懸命生きようとも最後にはすべて無となる。その無意味に耐えられる人がいったいどれくらいいることでしょう。

そんな唯物主義が人生観の前提となってしまった結果、日本人の心は荒廃してしまった。

そう考える人が増えているからこそスピリチュアルな見方が見直されてきているのだと思います。

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